昭和以降の地震被害
震災学習の参考にと、昭和以降の地震被害(死者・行方不明者を出した巨大地震)をまとめてみました。
抜けや誤記があるかもしれませんが、それにしても、10年の内に(年によっては複数の)日本のどこかで地震があることから、やはり日本は地震大国ということがわかります。
* 出所:気象庁「過去の地震津波災害『明治以降1995年までに、我が国で100人以上の 死者・行方不明者を出した地震・津波』」を基に作成
発生年月日 |
地震名 |
死者 行方不明者 |
最大震度 |
最大震度を観測した観測点(地方) |
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昭和2(1927)年3月7日 |
7.3 |
死者 2,912 |
6 |
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昭和5(1930)年11月26日 |
7.3 |
北伊豆地震 |
死者 272 |
6 |
静岡県三島市東本町 |
昭和6(1931)年9月21日 |
6.9 |
死者16 |
5~ |
東北地方から近畿地方 |
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昭和8(1933)年3月3日 |
8.1 |
死・不明 3,064 |
5 |
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昭和16(1941)年11月19日 |
7.2 |
死者2 |
5 |
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昭和18(1943)年9月10日 |
7.2 |
死者 1,083 |
6 |
||
昭和19(1944)年12月7日 |
7.9 |
死・不明 1,183 |
6 |
三重県津市島崎町など |
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昭和20(1945)年1月13日 |
6.8 |
死者 1,961 |
5 |
三重県 津市島崎町 |
|
昭和20(1945)年2月10日 |
7.1 |
死者2 |
5 |
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昭和21(1946)年12月21日 |
8.0 |
南海地震 |
死・不明 1,443 |
5 |
|
昭和22(1947)年6月10日 |
7.4 |
死者5 |
5 |
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昭和23(1948)年6月28日 |
7.1 |
福井地震 |
死者 3,769 |
6 |
|
昭和27(1952)年3月4日 |
8.2 |
十勝沖地震 |
死者28 不明5 |
6 |
北海道池田町 |
昭和33(1958)年3月11日 |
7.2 |
死者2 |
5 |
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昭和35(1960)年5月23日 |
9.5* |
死・不明 142 |
- |
震度1以上を観測した地点なし |
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昭和36(1961)年2月27日 |
7.0 |
死者2 |
5 |
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昭和36(1961)年8月19日 |
7.0 |
北美濃地震 |
死者8 |
4 |
|
昭和41(1966)年3月13日 |
7.3 |
死者2 |
5 |
||
昭和43(1968)年4月1日 |
7.5 |
死者1 |
5 |
||
昭和43(1968)年5月16日 |
7.9 |
死者52 |
5 |
||
昭和49(1974)年5月9日 |
6.9 |
死者30 |
5 |
静岡県南伊豆町 |
|
昭和53(1978)年1月14日 |
7.0 |
死者25 |
5 |
||
昭和53(1978)年6月12日 |
7.4 |
死者28 |
5 |
||
昭和58(1983)年5月26日 |
7.7 |
死者 104 |
5 |
||
平成5(1993)年1月15日 |
7.5 |
釧路沖地震 |
死者2 |
6 |
北海道釧路市 |
平成5(1993)年7月12日 |
7.8 |
死者 202 不明 28 |
5 |
北海道寿都町、新栄など |
|
平成6(1994)年12月28日 |
7.6 |
死者3 |
6 |
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平成7(1995)年1月17日 |
7.3 |
死者 6,434 不明 3 |
7 |
神戸市等阪神淡路地域 |
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平成15(2003)年9月26日 |
8.0 |
十勝沖地震 |
死者1 不明1 |
6 |
北海道新冠町など |
平成16(2004)年10月23日 |
6.8 |
死者68 |
7 |
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平成17(2005)年3月20日 |
7.0 |
福岡西方沖地震 |
死者1 |
6 |
福岡県福岡市など |
平成19(2007)年3月25日 |
6.9 |
死者1 |
6 |
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平成19(2007)年7月16日 |
6.8 |
死者15 |
6 |
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平成20(2008)年6月14日 |
7.2 |
死者17 不明6 |
6 |
||
平成23(2008)年3月11日 |
9.0 |
死者16,278 不明2,994 |
7 |
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平成28(2016)年4月14日 |
6.5 |
死者49 (消防庁H28.5.9現在) |
7 |
4/16にもM7.3の地震が発生 |
(やまずみ)
七夕まつり、とんまつり、奇祭、そして七夕まつり
7月7日(木)15:00~18:30、ふたば学舎講堂で実施予定の「七夕まつり」はゲームや景品など準備を着々と進めています。一番重要な笹の調達が残っていますが・・・。
「七夕まつり」についてはコチラ↓
http://futabasyo.jp/modules/pico/index.php?content_id=150
↑制作途中のボール入れゲーム
(以下、駄文)7月7日は七夕の日ですが、全国では同月同日に一風変わったお祭りが開催されています。
奈良の吉野では、「神仏を侮り、人の苦しみを喜んだ一人の男が金峯山の山上から一度蛙となって修験者に救出されたという伝説」にちなむ蛙飛行事が行われ、実は「かなり歳のおっちゃん」がカエルの着ぐるみに入ってベタ、ベタと這う「とんまつり」(=とんまな祭り)みたいです(みうらじゅん著『とんまつりJAPAN』)。
また、新潟の東湖八坂神社では、意識を失った男(=スサノオノミコト)が牛に乗せられ、船上のやぐらで綱にぶらさがる「くも舞人」を成敗する奇祭「牛乗り・くも舞」が行われているようです(杉岡幸徳著『奇祭』)。
こうした神々を迎えるお祭り、あるいは神の側にいるというマツルの語源的な意味に近いお祭りと比べると、今回の「七夕まつり」はインパクトに欠ける気もしないではありません。毎年、仙台市で開催される「仙台七夕まつり」になると豪華でインパクトがありますが、歴史と規模がすごいので同じようなことは到底できません。
柳田國男の『日本の祭り』によると、日本のお祭りの変わり目は「見物と称する群の発生、すなわち祭の参加者の中に、信仰を共にせざる人々、言わばただ審美的の立場から、この行事を観望する者」が現れたことだそうです。今回の「七夕まつり」は、お祭りという一イベントですが、審美的に「ただながめる」だけのお祭りではなく、地域の人たちがちょっと寄って、ついでに加わって、楽しんで、周りを見渡すと「あら、あの人、前に見かけたことあるわ」なんて顔見知り社会のきっかけが生じるようなお祭りにしたいと思っています。(やまずみ)
七夕まつり by まち道部
七夕が近づいてきました。
そこで、七夕祭りを7月7日(木)15時~18時30分に、ふたば学舎の講堂で行います。
チラシです↓
祭りといえば、まち道部!ですので、ふたば学舎「まち道部」主催での実施です。祭りといえばなぜまち道部?以下をご参照ください↓
http://futabasyo.jp/modules/pico/index.php?content_id=141
*七夕まつりの打合せを7/2(土)14:00より、ふたば学舎2階会議室で行います。まち道部に関心のある方は(TEL:078-646-8128またはE-mail:taiken@futabasyo.jpまで事前連絡の上)お気軽にご参加ください!よろしくお願いいたします。
(やまずみ)
タンポポ
ふたば学舎の花壇は園芸ボランティアの皆さんのおかげで、きれいな花で整えられています。
花壇の横手のすみにタンポポが咲いていました。在来種かどうか見てみると、花の下側(総包片という所)が反り返っているので外来のタンポポでした。
身近で見ることのできるタンポポはほとんど外来タンポポになっているみたいですが、その原因は環境破壊にあるようです。稲垣栄洋さんの『身近な雑草の愉快な生きかた』によれば、在来タンポポが生えていた自然環境が破壊され、その結果、外来タンポポが生存できる空き地ができたということです。
8/20(土)の夏祭りで「葉っぱの生き物づくり」という自然系プログラムを実施予定ということもあり、最近身近な植物に少し意識的になっているのですが、それはそれで気まぐれなものだと自分で思います。植物の多様性を考えるいい機会にはなりますが・・・。
「葉っぱの生き物づくり」は8/20(土)13:30~15:30、小学1年生~3年生15名を対象に、ふたば学舎2階の会議室で実施予定にしています。
その講座を含む夏祭り全体の内容については、ふたば学舎ホームページ上で随時更新していきます。(やまずみ)
雑感:震災犠牲者の追悼・・・
人生も半分を過ぎると、後戻りなどできなくて、ふとジャンケレヴィッチの『死』なんかをボーっと読みして、人称別の死について考えたりするものです(適当に言っています)。
一人称の死は経験不可能で、死とはつまり近しい人の死=二人称の死だというのは養老孟司さんがおっしゃっていたことでしょうか・・・。
「われわれは親しい者の死を自分自身の死のごとく生きる。」(ジャンケレヴィッチ)
昨日、大阪大学の院生のお二人が来館されて、阪神・淡路大震災の犠牲者の追悼についてご提案いただきました。従来の追悼イベントとは異なるものを阪神・淡路大震災が起きた1月17日にふたば学舎で実施したい(「静けさ」の中で!)ということで、細かなことは決まっていませんが、震災の記憶と教訓の継承につながることであれば協力させていただこうかと考えています。
震災から21年が経ち、追悼ってどういうことだろうか?とあえて哲学的に問うてみれば、記憶と教訓の継承の新たな形が発見できるかもしれません。
哲学的と言ったのは、院生の1人の方が哲学を専攻されていたからですが、萱野稔人さんは哲学の特徴を「総体的」とし、「哲学が概念によってある対象の知識をまとめあげようとする」ところから来ていると述べています(『哲学はなぜ役に立つのか?』)。
それにしてもたとえば、追悼で犠牲者の死を二人称の死と捉えようとする営みは、「総体的」になるのでしょうか??犠牲者との距離が縮まり、「登場する人物達がこっちの意図と無関係に行動するからどうしようもない」(白土三平『忍者武芸帳』)なんてことを言い出したら、それはもう怪しいものになってしまう??・・・。
今回の追悼に関する提案がどうなるかまだわかりませんが、いずれにしても震災に関するこちらの考えも深まるでしょうからありがたいことです。また考えていきます。(やまずみ)
↓昨年1月17日にリリースしたCD『被災の語り歌』の1曲目のビデオです。
「まち道部」始動。
6/12(日)に「まち道部」の初顔合わせミーティングを行い、8名の部員!にご参加いただきました。いよいよ「まち道部」が動きはじめます。
とはいえ、まだまだ、というか全然「まち道部」は知られていません。(もっと広報に力を入れなければ!)
「まち道部」は、数々の祭りごとを開催し、人々に集まってもらい、ふたば学舎近隣を顔見知りの多い地域にする、地域貢献を目指した(ひいては地域活動のリーダーを育成する)大人の部活動なのです。
気軽に参加できる部です。詳細は以下↓
http://futabasyo.jp/modules/pico/index.php?content_id=141
その第一回部活動であるミーティングでは、神戸アーカイブ写真館の東充さんに、東さんが中心となって関わられた1993年実施の駒ヶ林左義長祭りのことを1時間ほどお話しいただきました。
駒ヶ林の左義長の歴史は古く、988年に始まったとされているようですが、時代が下るとともに駒ヶ林では漁師さんの網入れの優先権を争う左義長けんか祭りなったそうです。そうした歴史的なお話しと1993年に復活させた左義長の実施方法についてスライドを交えて語っていただきました。左義長にはオス、メスがあって組み立て方が異なること、復活させるにあたっての組織づくりでは千人以上の方が関わったこと、当日は子ども向け移動動物園も実施したことなどなど、興味深い話をいろいろ伺うことができました。
同じような大規模な祭りを「まち道部」で実施するのは困難ですが、「地域の人のための地域の祭り」(ミーティング参加者談)を企画・開催していくことを考えています。
現在の予定では、7/7(木)に七夕祭りを、8/20(土)に夏祭りを、ふたば学舎で実施します。近日、HPなどでお知らせします。
「まち道部」に関心のある方はぜひご入部ください。お待ちしています。(やまずみ)
石田裕之さんと「被災の語り歌」+「まち道部」の打合せ
シンガーソングライターの石田裕之さんにご来館いただき、「被災の語り歌」と「まち道部」について打合せしました。
「被災の語り歌」は、阪神・淡路大震災の被災者の声/歌を集めるという震災学習事業のプログラムで、石田さんの全面的協力のもと昨年1月17日にCDをリリースしました。チラシはコチラ↓
http://futabasyo.jp/modules/pico/index.php?content_id=152
これまでそのコンサートをふたば学舎の講堂で2回(平成27年と平成28年の1月17日)行ったのですが、今年は当学舎に限らず、神戸市内で複数回実施する予定にしています。
また、「まち道部」は、当学舎の人材育成事業の一環で、近隣地域を顔見知りの多い社会にすべく、祭りをテーマに展開していくものです。チラシはコチラ↓
http://futabasyo.jp/modules/pico/index.php?content_id=141
地域貢献について石田さんが(出身地である)神戸市北区の地域活性化事業に係わられる予定ということもあり、また様々な社会貢献活動をされているということもあり、「まち道部」への協力をお願いしました。
その他、活動内容が周知されていない既存地域団体のあり方や、石田さんがボランティア活動をされている熊本地震の被災地の現状などについて色々お話しさせていただきました。地域の団体にせよ災害の被災地にせよ、やはり自分事(関係者)と他人事(無関係[と思っている関係]者)の隔たりから諸々の問題が生じてくるんだな、というのは話をしながら思ったことです。
そうした隔たりを「被災の語り歌」と「まち道部」の活動で埋めていきたいと考えています。そんなことができるかどうかはともかく・・・。(やまずみ)