ふたば学舎の日常

このブログでは【NPO法人ふたば(ふたば学舎指定管理者)】からの情報をお伝えしています。

8/26(土)「ハッケン教室~防災を学ぼう!」告知と余談:過去から学ぶことについて

8/26(土)10:30~15:00に震災学習の一環として夏休み期間中の小・中学生を対象とした「ハッケン教室~防災を学ぼう!」を実施します。避難所体験や災害食体験など様々な体験メニューを行う予定ですが、神戸の大学生に子どもたちのサポート役として協力してもらうことにしています。参加申込みについてはコチラ→http://futabasyo.jp/?p=1127

 

以下、余談(備忘録)です。

阪神・淡路大震災の記憶を伝える震災学習を担当していて、過去から学ぶとはどういうことなのかよく疑問に思っています。

以前ブログ(http://futabasyo.hatenablog.com/entry/2016/10/20/161208)で丸山眞男の「幕末における視座の変革―佐久間象山の場合―」から次の文章を引用しました。

過去の追体験とは「今日から見てわかっている結末を、どうなるかわからないという未知の混沌に還元し、歴史的には既定となったコースをさまざまの可能性をはらんでいた地点にひきもどして、その中にわれわれ自身を置いてみる、ということです」(丸山眞男『忠誠と反逆』[ちくま学芸文庫]所収)。

過去を現在という時間的に離れた所から見ると、どうしても現在の状況に引き寄せて考えてしまいます。そこで丸山は、過去を一度きりのことではなく、現在でも起こり得る可能性があるものとして捉えるために、歴史的な出来事を「『典型的な状況』にまで抽象化していく操作が必要」だと言います。「典型的な状況」とは何か?

この論文では佐久間象山という幕末の思想家をめぐる考察がされているわけですが、攘夷論から開国論に転じる象山の現実的な主知的合理主義について丸山は、それは権威的な知的エリート主義ではなくて、客観的な認識に基づくもののように捉えています。ただ、その認識の仕方が象山の場合、「たんにあるものをあるがままに眺めるという静観的、受動的な態度から出て来るものではなく、逆に不断に対象に働きかける強烈な能動的=自主的な主体を前提にして」いたのです。

象山の状況認識と分析と行動は裏目に出て結果的に攘夷派に暗殺されますが、とはいえ複眼的な認識と積極的な関与が必要な状況だった(象山が生きた)過去を、過去それ自体を媒介に現在化し、今につながるものにできれば、象山の思考方法から現在のわれわれが学びえるものが見えてくるわけです。

さて、過去を過去から見る時、いくつもの可能性が目前に開かれ、現在の自分事として客観的な認識が要求される・・・たとえば、過去から学ぶことをこのようにまとめてしまうと何だか薄~くなりますが、レトリックの問題なんでしょうか???(やまずみ)

日常の備忘録

6月25日(日)、大人の部活動「まち道部」による今年度2回目のウエルネスダーツ大会を開催しました。ふたば近隣地域の24名の参加者が老若男女入り混じる6チームに分かれてゲームを行いました。f:id:npofutaba:20170625140946j:plain

当日の盛り上がった様子は、ご協力いただいている日本ウエルネスダーツ協会さんのフェイスブックにアップされています。

https://ja-jp.facebook.com/wellnessdarts/

 

 翌日の6月26日(月)、長田消防署・神戸市防災コミュニティセンターで行われた防災マネジメント研修に参加しました。おおむね小学校区ごとにある防災福祉コミュニティの方たちを対象にした、防災の知識とマネジメント能力を向上させるための講義とワークショップという内容でした。

 

そのまた翌日の6月27日(火)、つまり昨日ですが、駒ケ林小学校で毎年行われている船岡フレンドシップ交流で震災学習を実施しました。これについては、ふたばのフェイスブックに写真をあげました。https://www.facebook.com/futabasyo/ 

 

上記3つは、内容は異なりますが、日常で顔見知りが多い地域ほど安全で住みよく、ひいては防災・減災力が高くなる、ということに通じていく活動だと言えそうです。問題は異なる活動をいかにつなげられるかですが、どうしましょ・・・(やまずみ)

「まち道部」のイベントと余談

祭りをテーマに、顔見知りの多い地域づくりを目指す大人の部活動「まち道部」のイベントがいくつか決まりました。

まず今年度第2回目となる「ウエルネス・ダーツ大会」(健康ダーツ!)を6月25日(日)13:30~15:30に多目的室1-2で開催します。要申し込みです。一度やってみると、楽しくて、はまるんじゃないかと思います。参加無料ですので、試しにどうぞ。第3回は7月30日(日)の予定。

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次に昨年も実施した「七夕祭り」を7月8日(土)14:00~16:00に多目的室1-2で行います。こちらは申し込み不要、参加無料です。短冊に願い事を書いて笹のツリーに飾るというシンプルな内容ですが、小学生以下のお子様はゲーム(ダーツ!)をして、景品をゲットすることができます。

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それから、マイクを使って得意なソロパフォーマンスを披露してもらう「オープンマイク」を8月6日(日)13:30~15:30に音楽室1で実施します。現在、パフォーマーを募集中です(7月15日締め切り)。弾き語り、朗読、漫談などのパフォーマンスを人前で披露したい方、ふたば学舎(TEL:078-646-8128)までご連絡ください。

最後に、「七夕祭り」同様昨年も実施した「夏祭り」を8月19日(土)13:30~16:00にふたば学舎館内で開催します。内容は、未定の部分があったりしますが、出店や(小学生の夏休みの自由研究にも役立つような)教室やお化け屋敷などを考えています。乞うご期待!

 

以下、余談。

先日、上記夏祭りでの教室をお願いした(前回もご協力いただいた)葉っぱ先生と昆虫の話しをしていて、夏が近づくと虫のことが話題にあがったりして楽しいなと感じたところなんですが、この季節は虫関連の本が読みたくなるので不思議です、って浅学の個人的趣味でしかありませんが・・・。最近だと、本川達雄著『ウニはすごい、バッタもすごい』(中公新書)に書かれていた、昆虫の骨格の材料となっているクチクラという有機物が陸上で歩いたり飛んだりする昆虫にとって三層構造の優れたデザインになっているという話は、よくそんなことがわかるもんだという驚きと共に非常に興味深かったです。さらに、ノミなんかは脚の関節部のクチクラとレジリンというタンパク質による弾性エネルギーでジャンプするそうですが、レジリンは「昆虫から取り出して丸めて高い所から落とすと、ほほ同じ高さにまで跳ね返ってくる」らしくて、その様子を見てみたくなります。こうした昆虫の構造や生態は工学研究なんかに応用されたりしていると思いますが、単なる興味で見ている分にはどうなんでしょうか??(やまずみ)

CD『被災の語り歌』売上金の寄附と震災学習の実施

報告が遅れましたが、阪神・淡路大震災の被災者の声を歌で伝えるCD『被災の語り歌』の平成28年度売上金5万円を東日本大震災義援金として日本赤十字社に寄附しました。お買い上げくださった皆様ありがとうございました。改めてお礼申し上げます。

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ふたば学舎では5月23日(火)に修学旅行生を対象とした震災体験学習を2件(安芸市立清水ケ丘中学校57名と横須賀市立武山中学校193名)おこないました。内容は避難所体験、まち歩き、防災の知恵学習といったものでしたが、みなさん22年前に被災地だった未知の町でいろいろと発見があったようです。

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↑男子2名。ダンボールで作った避難スペースの寝心地はけっこう良いそうです。後で、避難生活が長期化する際に起こる問題を想像してもらいました。

そして、今日も午後から震災学習をおこないます。(やまずみ)

新聞掲載と震災学習の実施

 

5月17日(水)の神戸新聞朝刊に、「避難所もっとより良くプロジェクト」と共催し、12人の大学生が参加した避難所体験プログラム(4月4日実施)の記事が掲載されていました。災害食体験と避難スペース作りの様子が大きく取り上げられています。記事の中に「『災害発生直後、被災者はストレスがかかって合理的な思考ができない状況にある。だからこそあらかじめ想像をしておくことが大切』と山住さん。」とありますが、発災直後に合理的な思考ができないことに関しては木村玲欧著『災害・防災の心理学』中で説明されている「失見当」(しつけんとう・精神医学用語)が参考になります。

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ふたば学舎の震災体験学習では「想像力」を重視していて、参加者(たいてい小・中学生)に想像力を発揮して22年前の阪神・淡路大震災の被災者あるいは将来起こり得る震災の被災者になってもらうようにしています。一昨日の5月16日(火)には高知県香南市立香我美中学校2年生48人を対象に、被災者になったという前提のもと、語り部体験談・炊き出し体験・防災の知恵学習・避難所体験を行いました。少しでも自分事としての震災を感じとってもらえていたらいいなと思います。

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蛇足ですが、震災学習を実施する際、主な対象となる子どもたちのことを考慮して、わかりやすい説明を心がけるようにしています。その参考に、地震/震災/防災/減災関連の書籍に目を通したりするのですが、最近では学研まんが新ひみつシリーズの『地震のひみつ』がすごくわかりやすいなと思いました。

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地震のメカニズムや(長周期地震動も!)過去の地震のこと、さらに防災についても描かれていて、おもしろい漫画です。(やまずみ)

ちょっと一息、石田さんの音楽

今日もひたすら報告書。

休憩時に石田裕之さんの新譜『Hide - and - Seek』を聴く。

シンガーソングライターの石田さんにはふたば学舎の震災学習で協力していただいておりますが、石田さんは震災/防災だけでなく福祉や人権関連など多岐にわたる活動をされています。そうした活動の中心に音楽があると思うのですが、では、震災とかなんとかが係わらない石田さんの音楽は・・・ってことで『Hide - and - Seek』(全7曲)を聴くと・・・。

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ベテランンのジャズミュージシャンとの共演ということで音の・・・って、音楽に詳しくないので、素人の適当な印象論で言えば・・・2曲目の冒頭にポーン、ポーンっとハーモニクスがあって、1曲目と同じリフが奏でられるので、うわーカッコいいなぁと思ったのと同時に、そのハーモニクスが水面の波紋として視覚化されて、なるほど石田さんの諸々の活動のあり方は波紋のように人々を響かせる/人々に響いていく、というものなのかなと、そういうふうに音楽活動が一貫しているのかなと偉そうに考えたのでした。繰り返し聴いていると色々見えてきますから、「かくれんぼ」を意味するアルバムタイトルも言い得て妙という感じです。

休憩終了、報告書にもどる。

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ちなみに、石田さんの協力のもと制作したCD『被災の語り歌』(千円、売上は東日本大震災義援金として寄附)は、ふたば学舎「震災学習ラボ」にて販売しております。(山住)

報告書、理論、少しばかりベンヤミン

気づけば5月・・・。この時期は旧年度の報告書作成と新年度の計画の肉付け作業で机に張り付いていることが多くなります。

過去の実践の振り返りと新たな実践の計画をしていると、どのような枠組みで動いているのかなどを考え、いつものことながら実践と理論的なこととのバランスが気になります。(以下、ぐだぐだと・・・)

先日、町山智浩さんの『映画と本の以外な関係!』(インターナショナル新書)を読んでいたら、まえがきにヴァルター・ベンヤミンの絶筆とされる「歴史の概念について」(のパウル・クレーによる水彩画『新しい天使』に言及している箇所)が引用されていて、以前にベンヤミンを読んだ時(1995年の震災の後)とちがって腑に落ちる感じがしました。『映画と~』から孫引きすると、

「彼(=新しい天使)はその顔を過去に向けている。われわれには出来事の連鎖と見えるところに、彼はただ一つの破局(カタストロフィー)を見る。その破局は、次から次へと絶え間なく瓦礫を積み重ね、それらの瓦礫を彼の足元に投げる。彼はおそらくそこにしばしとどまり、死者を呼び覚まし、打ち砕かれたものをつなぎ合わせたいと思っているのだろう。」(ヴァルター・ベンヤミン著、山口裕之編訳「歴史の概念について」『ベンヤミン・アンソロジー』河出文庫

腑に落ちる感じがしたというのは、ナチス・ドイツからの亡命先で自殺したとされるユダヤ人のベンヤミンのことというより、震災学習で過去のカタストロフィーに関する記憶をいかに若い世代に継承するかということを日常的に考えていたからです。つまり、過去から現在・未来へ進行していく均質な歴史記述が拾い上げることのない打ち砕かれたものの記憶をつなぎ合わせることに、われわれが過去の(敗者の沈黙の)記憶を追体験する機会が含まれているのではないかと閃き、少なからず腑に落ちたわけです。

以前、読んだベンヤミンの翻訳は岩波文庫の野村修訳で、例えば、上記の「打ち砕かれたものをつなぎ合わせたいと思っているのだろう」の所は、「破壊されたものを寄せあつめて組みたてたいのだろう」と訳されています。主観ですが、組みたてるという垂直的イメージが、新訳でつなぎ合わせるという水平的イメージに変わり、歴史上の事がらの凸凹をならす(均す)動作が見えてきたのです(これは震災学習で使える!?)。翻訳なのでいかがなものかと思いますが、私には原文のドイツ語を読む能力がないので如何ともしがたいのですが、ベンヤミンの有名な翻訳論「翻訳者の課題」ではその課題は純粋言語への志向によって「原作のこだまが呼び起される」などとあり、また、ベンヤミン歴史観の背景にある神学なども考慮すると、深入りはせずに参考までにとどめようと思います。ちなみに、ハンナ・アレントの『暗い時代の人々』(ちくま学芸文庫)では次のような記述があります。「ベンヤミンについての理解を困難にしているものは、かれが詩人となることなしに、詩的に思考していたことであり、それゆえに隠喩を言語における最大の武器とみなさざるをえなかったことであった。」

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震災学習ラボの本棚にベンヤミンが図書館で調べものをしている写真を置いてみました。ここに来られたどなたかが気づかれるといいのですが・・・。(山住)