ふたば学舎の日常

このブログでは【NPO法人ふたば(ふたば学舎指定管理者)】からの情報をお伝えしています。

駒ケ林小学校で震災語り部体験談

本日、神戸市立駒ケ林小学校で毎年行われている鳥取県船岡小学校との5年生同士の交流学習「船岡フレンドシップ交流」で、地元の語り部さん6名による震災語り部体験談を実施しました(交流学習が始まったきっかけは戦時中の船岡への学童疎開阪神・淡路大震災時の船岡町からの支援ということです)。両学校の5年生85名が6グループに分かれて、それぞれ語り部さんの震災体験を聞きました。つい先日(6/18)に大阪北部地震が起こり長田区でも震度4の揺れがありましたので、語り部のみなさんもそれについて言及してから最大震度7阪神・淡路大震災に関する体験と教訓を子ども達に伝えられていました。

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語り部体験談の後は、5年生全員がアリーナに集まって、3問ほど防災クイズにチャレンジしました。最後の発表タイムでは、船岡小の児童から「駒小の人と交流して震災のことが知れてよかったです」という感想がありました。地震はいつどこで起こるか/遭遇するかわかりませんから、今回の震災学習を通して災害時の望ましい行動の知識が少しでも身についていればいいなと思います。(やまずみ)

 

震災学習の実施、お礼の手紙

本日、岐阜県羽島市竹鼻中学校3年生192名対象に2時間の震災学習を実施しました。プログラム内容は阪神・淡路大震災に関するスライド学習と避難所体験、災害時の知恵学習でした。避難所体験では人数が多かったため、避難スペースに使う段ボールが足りないグループもありましたが、実際の避難所の窮屈さに近い感じになりました。そして、避難生活の中で起こり得る困ったことを考えて発表してもらい、避難所では多様な問題が生じることを認識してもらいました。その後、元神戸市消防署員の野村勝さんに、災害時の知恵学習として、ロープ結束(本結び)と救急搬送法をご教授いただきました。今回学んだことが生徒のみなさんの防災意識向上につながればと思います。

↓本結びを習得中。

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それから、5月11日に震災学習を受けていただいた岡山市立妹尾中学校2年生98名のみなさんからお礼の手紙が届けられました。

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それぞれの感想を知ることができて大変ありがたいです。今後の参考にさせていただき、震災学習の内容をよりよいものにしていきたいと思います。ありがとうございました。(山住)

5月の震災学習

5月は震災学習の受入が5件ありました。すべて県外の中学生が対象でした。

(1)10日、倉敷市琴浦中学校173名。ふたば学舎前で、全員で炊き出し(豚汁とおにぎり)調理体験。

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(2)11日、岡山市立妹尾中学校98名。避難所体験、炊き出し体験、語り部体験談、まち歩き、災害現場の知恵学習、という内容でした。

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(3)14日、高知県須崎市立朝ヶ丘中学校70名。炊き出し体験、まち歩き、避難所体験、災害現場の知恵学習、という内容。

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(4)15日、高知県香南市立香我美中学校56名。炊き出し体験、避難所体験、語り部体験談、災害現場の知恵学習、という内容。

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(5)17日、静岡市清水第八中学校108名。炊き出し体験の後、二手に分かれて、まち歩きと避難所体験を交互に行いました。

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上記震災学習に参加した生徒のみなさんは総じて真剣に(また楽しみながら)震災学習メニューに取り組んでいました。今回の震災学習がみなさんの防災/減災意識向上の一助になればと思います。とはいえ、震災学習を通していかに震災を自分事としてとらえてもらうかについては課題が残った感じです。自分の脇をくすぐってもくすぐったくないように(脳がくすぐることを先読みするので)、あらかじめ予測できる内容に終始してしまっているのがよくないのか、実際の震災現場で生ずる予測不可能性をプログラムに組み込めばいいのか(どうやって??)、何かと改善すべき点も出てきました。いろいろ考えていきたいと思います。

中学生のみなさん、それから、震災学習の各メニューでご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

また、ふたば学舎の震災学習について、日本経済新聞(2018年4月21日、夕刊)と神戸新聞(2018年5月21日、朝刊)に紹介記事を掲載していただきました。ありがとうございました。f:id:npofutaba:20180522143455j:plain

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(やまずみ)

「ロックの名曲だと思います」今回は日本のロック

4/22(日)13:00~14:30にロック音楽鑑賞会「ロックの名曲だと思います」をふたば学舎・音楽室2で開催します。前回は洋楽ロックでしたが、今回は1960年代~80年代の邦楽ロックの名曲を一緒に聴くゆる~いイベントです。気が向いたらご参加ください。持ち物は、これは日本のロックの名曲だ!と思う(主観)曲が入っているCD、もしくはポータブルオーディオプレーヤーです(ただし物によっては再生できない場合があります)。参加無料です。f:id:npofutaba:20180418163721p:plain

余談:音楽CDの生産量がこの20年で半減する一方(日本レコード協会「日本のレコード産業2017」参照)、無料動画配信サービスを介して音楽を聞く人が増えているようです。それでも、過去のアーティストの有名アルバムのリマスター版などのリリース情報につい目が行ってしまう身としては、レコード会社がこれまで蓄積してきた有名アーティストのバックカタログを使って売り上げを伸ばす戦略は(特に中高年向きには)有効だと思っていたのですが(キース・ニーガス『ポピュラー音楽理論入門』参照)、そんなにでもないかもしれません・・・無料で聞けたりしますから。とはいえまあ今回の「ロックの名曲だと思います」は物(CD)好きなイベントということで・・・。ちなみに60~80年代の邦楽ロックの名曲と言えば、主観ならやはり山口冨士夫の曲に尽きるでしょう。(やまずみ)

震災学習での語り方を遠回りに考える(雑文)

今年も5月から震災学習の受け入れが始まります。5月の対象は神戸市外の中学生ということもあり、若い人たちにどう話そうかと改めて考える参考に、河出書房新社「14歳の世渡り術シリーズ」の1冊、萱野稔人著『暴力はいけないことだと誰もがいうけれど』を読んでみました。

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萱野さんの著作は『国家とはなにか』以来、注目してきたので、『暴力は・・・』でも述べられている、国家が合法的に暴力への権利を独占するという主旨は知っていました。では、『暴力は・・・』においてどのように記述の仕方/語り方が異なっているのかといえば、まさしく語るように書かれており、使用語彙が(たぶん)14歳に合わされ、読み易さを考慮してか改行が多用されています。特に印象に残ったのは話の根拠を、「何度もいうようですが」とか「先ほど指摘したように」とか「どういうことかというと」というふうに、丁寧に繰り返し行っていることでした。また、突き詰めて考えるとわかること(社会通念に流されない考え方)、たとえば、善悪の道徳的基準には限界があり、理論的思考の邪魔をするといったこと(たとえば、暴力は悪だと一義的に捉えると暴力を独占する国家について理解できなくなる)が書かれてあり、読みながら「なるほど」と納得させられました。ちなみに、道徳感情の根源にある処罰感情および応報感情については同じく萱野さんの『死刑、その哲学的考察』(ちくま新書)に詳しいです。

さて、『暴力は・・・』を参考にして、中学生がわかるように話すには、使用語彙の配慮、語りの間合い、繰り返しの理由づけ、そして社会通念を超える内容(つまり知っていたけれど考えていなかったこと)、といった所が重要かと思われます。とはいえ、私が14歳だった時のことを思い出して(ほとんど忘れましたが)、中学生が『暴力は・・・』を読んで、どこまでわかるものなのか・・・よくわかりません。

山鳥重著『「わかる」とはどういうことか―認識の脳科学』(ちくま新書)によると、わかるためには、意識に現れる像が何であるか言語を介して判断する記憶心像(記憶のストック)が必要です。そして、科学的にせよ思弁的にせよ自分で分類・整理することによってわけがわかるようになります。であれば、話の内容を相手がわかるようにするには、相手の知っている単語を使って、筋道立てて(つまりあらかじめ整理して)、意味づけしなければいけません。しかしそれだと結局、相手は自分が知っていることに情報転換するだけですから、すべて既知のものに収まってしまうでしょう。既知のベールをはがすにはどうすればいいか?『「わかる」とは・・・』から引用すると、「学校ではわからないことは試験問題とか、先生からの質問という形で与えられます。ですが、このように受け身の形で人から与えられた問題(わからないこと)が解けたからといって、知識が自分のものになるわけではありません。本当の意味でのわかる・わからないの区別の能力は人から与えられるものではありません。自分から自発的にわからないことをはっきりさせ、それを自分で解決してゆかないかぎり、自分の能力にはならないのです」。おそらく、自分でわからないことを見つける自発性が既知のベールをはがし、創造的な「わかる」に導くのでしょう。わからないことを相手に発見させるのには、萱野さんの『暴力は・・・』にあるような、知っていたけれど考えていなかった話が刺激になるのではないかと思います。おわり。

いつもながら私以外だれか読むのでしょうか??(山住)

震災学習に関する学会発表@東北大学

3月23日(金)東北大学川内北キャンパスで開催された日本発達心理学会第29回大会の中のシンポジウムで話題提供としてふたば学舎の震災学習について発表しました。シンポジウムのタイトルは「子どもと若者を主体にした震災学習が問う新たな学習観―阪神・淡路大震災東日本大震災の被災地での試みから―」というものでした。

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東日本大震災に関する試みについては、東北大学の邑本俊亮先生が学内の学生を対象とした被災地訪問による課題発見解決型学習を紹介されました。その解決型学習では特に学生の「生きる力」に関する学習観が有意に変化するということでした。参加された学生さんたちの今後の活躍が期待されます。

一方、ふたば学舎の震災学習は、対象の中心が阪神・淡路大震災後に生まれた中学生や高校生など若い世代ということもあり、遠い昔の震災(阪神・淡路大震災)と遠い未来の震災(例えば予想される南海トラフ巨大地震による災害)のはざまにおいて「他人事から自分事へ」の認識転換を図ることを第一としています。そこでは震災が自分事になるよう、参加者は疑似的に(阪神・淡路大震災の)被災者になり、ある震災ストーリーに沿って被災を体験します。が、前後関係や因果関係がわかりやすい予定調和なストーリーに終始せず、ストーリーを外れる(リアルな被災者の言動に見られるような)よくわからないことをはさみ込むことで体験が記憶に残るように工夫(しようと)しています。

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こうした震災学習のコンセプトは、イメージにすると下図の黒丸のように過去の現場へ一旦学習者自身を移動させ、再び今に戻るというもので、過去から現在・未来へと進歩していく学習観とは異なります。

 

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このイメージは以前ブログで引用したベンヤミンの「歴史の概念について」における新しい天使

報告書、理論、少しばかりベンヤミン - ふたば学舎の日常

丸山眞男の言う過去の追体験

8/26(土)「ハッケン教室~防災を学ぼう!」告知と余談:過去から学ぶことについて - ふたば学舎の日常

に重なるので、発表でも引用して話しました。いつもの癖でとりとめのない話になりましたが・・・。

詳しく述べると長くなるので省きますが、実は1の次は2という論理意識のレベルではなく、快/不快含めた“that feel”(Tom Waits)という身体の感覚的なものが自分事に認識転換させるきっかけを作るのではないかと思っています。このあたりことはまたどこかで説明するつもりです(?)。

翌日、東松島市の被災地へ行きました。(やまずみ)

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