震災の記憶の声を伝える「被災の語り歌コンサート」
明日10/1(土)は、神戸市立西区民センターの音楽室で18:30から19:30の間、被災の語り歌コンサートを行います。ふたば学舎の外で行うのは2回目です。
阪神・淡路大震災から21年経っても、未来の防災のために伝えられるべき震災の記憶と教訓は数多く残っていると思います。もちろん忘却の川に流れ去った記憶も数知れずあるでしょう。
被災の語り歌コンサートは歌を通して震災の記憶を伝えようとするもので、主役は「声」です。語り歌を歌うシンガーソングライターの石田裕之さんの声、被災者の声、あるいはオーディエンスの声・・・。伝えるべき記憶の具体的な内容より先に、まず記憶の声を届けることができればいいのですが。
(以下、余談)
ところで、最近、詩人・金時鐘さんの『朝鮮と日本に生きる』(岩波新書)を読んだのですが、それは20年ほど前に大阪で聞いた金さんの講演での圧倒的な声の力の源泉を改めて確認したかったからです。私が聞いた金さんの声は、特に大きな声とかよく響く声ではなくて、鬼気迫るものがあり、異様に心をえぐられた記憶があります。『朝鮮と・・・』を読むと、その声は、皇国少年だった植民地時代、済州島四・三事件、その後行きついた大阪・猪飼野、朝鮮語授業を担当していた兵庫県立湊川高校・・・それらを通過してきた声(本では文体から浮かび上がる声)だったように思えます。
そうはいっても、あの時の圧倒する声の力はいまだ得体の知れないものですが、『朝鮮と・・・』を介して、震災の記憶を伝えるのに「声」が大切であることを考えさせられました。
金さんの他の著作『「在日」のはざまで』に次のようなエピソードが紹介されています。湊川高校時代に金さんは、授業をつぶそうとする生徒と長時間対峙し、こう述べます、「正直に言おう。私に勇気があって、その場を耐えたのではない。しいたげられてきた者のひとりとして、本当におこったときの怒りが何であるかを、私は知っていただけなのだ」と。
本当に伝えるべき震災の記憶は何でしょうか?(やまずみ)