ふたば学舎の日常

このブログでは【NPO法人ふたば(ふたば学舎指定管理者)】からの情報をお伝えしています。

雑感:震災犠牲者の追悼・・・

人生も半分を過ぎると、後戻りなどできなくて、ふとジャンケレヴィッチの『死』なんかをボーっと読みして、人称別の死について考えたりするものです(適当に言っています)。

一人称の死は経験不可能で、死とはつまり近しい人の死=二人称の死だというのは養老孟司さんがおっしゃっていたことでしょうか・・・。

「われわれは親しい者の死を自分自身の死のごとく生きる。」(ジャンケレヴィッチ)

昨日、大阪大学の院生のお二人が来館されて、阪神・淡路大震災の犠牲者の追悼についてご提案いただきました。従来の追悼イベントとは異なるものを阪神・淡路大震災が起きた1月17日にふたば学舎で実施したい(「静けさ」の中で!)ということで、細かなことは決まっていませんが、震災の記憶と教訓の継承につながることであれば協力させていただこうかと考えています。

震災から21年が経ち、追悼ってどういうことだろうか?とあえて哲学的に問うてみれば、記憶と教訓の継承の新たな形が発見できるかもしれません。

哲学的と言ったのは、院生の1人の方が哲学を専攻されていたからですが、萱野稔人さんは哲学の特徴を「総体的」とし、「哲学が概念によってある対象の知識をまとめあげようとする」ところから来ていると述べています(『哲学はなぜ役に立つのか?』)。

それにしてもたとえば、追悼で犠牲者の死を二人称の死と捉えようとする営みは、「総体的」になるのでしょうか??犠牲者との距離が縮まり、「登場する人物達がこっちの意図と無関係に行動するからどうしようもない」(白土三平忍者武芸帳』)なんてことを言い出したら、それはもう怪しいものになってしまう??・・・。

今回の追悼に関する提案がどうなるかまだわかりませんが、いずれにしても震災に関するこちらの考えも深まるでしょうからありがたいことです。また考えていきます。(やまずみ)

↓昨年1月17日にリリースしたCD『被災の語り歌』の1曲目のビデオです。

www.youtube.com