ふたば学舎の日常

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8/26(土)ハッケン教室~大学生と防災を学ぼう!~参加者募集中&余談

8月26日(土)10:30~15:00開催予定の「ハッケン教室~大学生と防災を学ぼう!~」は、日が近づいてきましたが、まだ参加者募集中です。対象は小学3年生~中学生、参加費無料です。大学生といっしょに避難所体験や災害食作り、防災に役立つ知恵学習、まち歩きを行います。学校の夏休みの自由研究に活用できると思います。申し込みをお待ちしています!(やまずみ)

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★以下、余談/雑文

夏なので、歩いていると葉の生い茂る木々や雑草群がよく目につきます。あれを見ると頭の中ですぐ、つげ義春さん(あるいは水木しげるさん)が描く木々に変換されてしまい、困ることはありませんが、何だか現実とイメージがくっついたり離れたりして見えてきます。

現実ではなくイメージに自分を合わせていく人々の傾向については過去にダニエル・ブーアスティンの『幻影の時代』なんかでも(たぶん)言及されていましたが、言語の使用においても現実との乖離は必然的にあるわけで、それは井上忠さんが言うところの言葉の「繭化作用」(だったと思う・・・)に起因するのでしょう。つまり、言葉で現実を捕えると、現実は言葉で覆われ、言葉を使う者は現実から保護されると。

ここから強引に話を震災学習にするなら、そこでは語り部体験談に顕著なように、言葉を中心的な媒体として用いているわけで、そうである限り震災は繭によって遮断されます。震災は現実的なことから隔たりますが、ただ、震災学習においては繭がある方がコミュニケーションはとりやすく、そして内容もわかりやすくなり、学習が円滑に進むでしょう。結局、言葉を使うほかないのですが、それなら言葉を現実に先行させずに(言葉の繭をほどいて)ダブらせたり交差させたりなんかすればいいのか、それはどうやってするのか・・・おぼろげな答えとして、言葉を発するという運動も含めて体を動かす、というのがふたば学舎で体験型の震災学習をやっていて思うところです(いつもながらの堂々巡りですが、果たしてこのブログを[しかも蛇足部分まで]いつも読んでいる人がいるのか???)。