3月23日(金)東北大学川内北キャンパスで開催された日本発達心理学会第29回大会の中のシンポジウムで話題提供としてふたば学舎の震災学習について発表しました。シンポジウムのタイトルは「子どもと若者を主体にした震災学習が問う新たな学習観―阪神・淡路大震災と東日本大震災の被災地での試みから―」というものでした。
東日本大震災に関する試みについては、東北大学の邑本俊亮先生が学内の学生を対象とした被災地訪問による課題発見解決型学習を紹介されました。その解決型学習では特に学生の「生きる力」に関する学習観が有意に変化するということでした。参加された学生さんたちの今後の活躍が期待されます。
一方、ふたば学舎の震災学習は、対象の中心が阪神・淡路大震災後に生まれた中学生や高校生など若い世代ということもあり、遠い昔の震災(阪神・淡路大震災)と遠い未来の震災(例えば予想される南海トラフ巨大地震による災害)のはざまにおいて「他人事から自分事へ」の認識転換を図ることを第一としています。そこでは震災が自分事になるよう、参加者は疑似的に(阪神・淡路大震災の)被災者になり、ある震災ストーリーに沿って被災を体験します。が、前後関係や因果関係がわかりやすい予定調和なストーリーに終始せず、ストーリーを外れる(リアルな被災者の言動に見られるような)よくわからないことをはさみ込むことで体験が記憶に残るように工夫(しようと)しています。
こうした震災学習のコンセプトは、イメージにすると下図の黒丸のように過去の現場へ一旦学習者自身を移動させ、再び今に戻るというもので、過去から現在・未来へと進歩していく学習観とは異なります。
このイメージは以前ブログで引用したベンヤミンの「歴史の概念について」における新しい天使
8/26(土)「ハッケン教室~防災を学ぼう!」告知と余談:過去から学ぶことについて - ふたば学舎の日常
に重なるので、発表でも引用して話しました。いつもの癖でとりとめのない話になりましたが・・・。
詳しく述べると長くなるので省きますが、実は1の次は2という論理意識のレベルではなく、快/不快含めた“that feel”(Tom Waits)という身体の感覚的なものが自分事に認識転換させるきっかけを作るのではないかと思っています。このあたりことはまたどこかで説明するつもりです(?)。
翌日、東松島市の被災地へ行きました。(やまずみ)