11月4日(日)、二葉ふれあいのまちづくり協議会・二葉地区防災福祉コミュニティとふたば学舎の共催で「二葉ふれまち防災訓練」を開催しました。参加者は地域にお住いの約230名でした。毎年開催される防災訓練ですが、今回はいつもの火災に関する訓練のほか、(二葉公園に設置された)災害時臨時給水栓を使った応急給水訓練も加えられ、みなさん積極的に参加されていました。
11月5日(月)、福岡県中間市立中間南中学2年生103名を対象に1時間弱の震災学習まち歩き体験を実施しました。9グループに分かれて、ふたば学舎近隣を各ガイドについて歩いてもらいました。短時間でしたが、ガイドから聞いた阪神・淡路大震災時の被災状況と現在の様子とのギャップを感じとってもらえたようでした。
そして11月9日(金)は、加古川市立両荘中学2年生53名を対象にした震災体験学習を行いました。実施時間は6時間半と長めで、生徒さんたちには阪神・淡路大震災と同じ巨大地震に遭遇し避難者になったという前提で、避難所体験、語り部体験談、炊き出し体験、まち歩き体験、災害現場の知恵学習、とみっちり体験してもらいました。終了時にアンケートをとりましたが、震災に関して多くのことを学びとってもらえたようで、「この学習はとても印象強いことばかりでおどろいたことがたくさんあり良い勉強になりました」や「避難のしかたもおぼえたし、地震があったときにやくだつことを学べました」などの感想をもらいました。ありがとうございます。また、この日は、NHK神戸放送局の取材・撮影も入り、11月20日(火)18:30~19:00放送「ニュースKOBE発」の中の阪神・淡路大震災をテーマにした月1回の6分間ほどの特集コーナー“あの日を胸に”でふたば学舎の震災学習を紹介していただけるようです。(やまずみ)
NHKの取材で言わなかった余談:アルゼンチン作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短篇「記憶の人、フネス」(『伝奇集』岩波文庫、所収)は、知覚したすべてを記憶するイレネオ・フネスという若者の話です。フネスは「ひとつのブドウ棚の若芽、房、粒などのすべてを知覚」し、記憶します。ただし、あくまで個物の記憶にとどまり、抽象化されません。「フネスは普遍的なプラトン的観念を持つことはおよそできない男であった」。つまり、フネスにとって犬の記憶は眼の前にいる単独の犬(名前があるならポチとかなんとか)であり、決してその犬を包括する「犬」概念に至らないのです。認知科学者のスティーブン・スローマンとフィリップ・ファーンバックは著書『知ってるつもり:無知の科学』(早川書房)の中で「記憶の人、フネス」を引き合いに出し、すべてを記憶することは、抽象的な枠組みの中で他との共通点や差異に気づいて適切な行動をとるのを妨げるのだと言います。ここから簡単に想像できるのは、ネットで検索できるような膨大な量の詳細情報(=過去の記憶)でしょう。それ自体はなんの役にも立ちません。単なる情報はより高次の抽象的思考の中で比較されてようやく次の行動の役に立ちます。さて、震災学習ではスライド学習の他、被災経験のある語り部さんなどを介して、参加者に阪神・淡路大震災の記憶を伝えます。1995年1月17日午前5時46分に兵庫県南部地震が起き・・・長田区の被災の特徴は広範囲の火災で、東隣の商店街は全焼・・・避難所となった旧二葉小学校には千人を超える避難者が来て・・・等々。しかし、上記のことから考えれば、その記憶は単なる過去の記憶にとどまります。それゆえ参加者には、震災の被災者という前提で避難所スペース作りや(かつての被災地)まち歩きなどを体験してもらい、自らの(仮の)被災体験と伝え聞いた震災の記憶との共通点と差異を感じ取ってもらうようにしています。それは震災学習で参加者一人ひとりが災害時にとるべき動き方=教訓を得るための仕組みでもあるわけですが、震災から24年近く経っていることもあり、薄れていく過去の記憶継承に対して、また、時代によって方法が変化する「学習」という側面から、改善の余地はまだまだあります・・・そもそも、防災/減災の視点の中心となるべき震災犠牲者の記憶と教訓についてはうまく扱えなかったりします・・・。
ついでに、都市における震災に関する備忘録:「現代社会では、技術的知識はどんどん増えているのに、逆説的にも物事は今までよりずっと予測不能になっている。」(ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』)