ふたば学舎の日常

このブログでは【NPO法人ふたば(ふたば学舎指定管理者)】からの情報をお伝えしています。

11月震災学習備忘録

1ヶ月ほど前の震災学習ですが、11月22日(木)に名古屋市立工芸高等学校2年生275名を対象に炊き出し体験と避難所体験を実施しました。大人数でしたので、広い講堂もぎっしり詰まった感じになりました。約24年前の阪神・淡路大震災直後の避難所はどこも避難者で埋まり、不安感や不快感でいっぱいだったと思いますが、今回の避難所体験での窮屈さは僅かながら実際の避難所に近くなったかもしれません。生徒のみなさんにとって被災後の避難生活の問題について考えるきっかけになっていたらと思います。

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年内の震災学習はこの件で最終になります。来年の1月には阪神・淡路大震災から24年に関するイベントと市内の小中学校への出前震災学習を予定しています。

余談:今年は5月から13校の震災学習の受け入れを行いました。このブログでは学習内容のあり方や記憶の伝承方法などについて余談としてぐだぐだと述べてきましたが、振り返ってみて、今後の震災学習では体験したことが身につくための「合間の時間」をいかに確保するか考えようと思っています。たとえば教育哲学者のジョン・デューイは『経験と教育』(講談社学術文庫)で次のように述べています。「年少者にとってさえも、静かに反省するため、しばし合間の時間が必要である。しかし、この短い合間が、見た目に一段と明らかな活動に費やされた時間の後に続くとき、またこの合間が、頭脳のほかに手や身体の他の部分が使われるさいの活動の期間に獲得されたものを組織立てるために用いられるときにのみ、この合間が本物の反省の期間になるのである。」身体を通じた学びは、その活動の後に振り返ってまとめ上げる反省、つまり心身というか身心の活動が一続きに行われてはじめて、身につくのだと考えられます。このことは、考えるという行為の繰り返しによって脳の神経細胞とそれらを結ぶシナプスの回路が増強され、記憶の保存・強化がなされるという科学的事実に裏付けられるように思われます(福岡伸一著『変わらないために変わり続ける』参照)。それゆえ、震災学習の中で「合間の時間」を確保しなければと、まさに反省する次第です。(やまずみ)