ふたば学舎の日常

このブログでは【NPO法人ふたば(ふたば学舎指定管理者)】からの情報をお伝えしています。

阪神・淡路大震災から24年の震災出前学習

阪神・淡路大震災から24年の今日、3件の震災出前学習を実施しました。場所は北区の神戸市立八多小学校と神戸市立八多幼稚園、そして須磨区の神戸市立太田中学校。小学校と中学校では震災に関する講演、幼稚園では防災ゲームの「防災ダック」を行いました。震災の記憶を風化させないよう今後も震災の記憶の継承に取り組んでいきたいと思います。

▼神戸市立八多小学校

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11月震災学習備忘録

1ヶ月ほど前の震災学習ですが、11月22日(木)に名古屋市立工芸高等学校2年生275名を対象に炊き出し体験と避難所体験を実施しました。大人数でしたので、広い講堂もぎっしり詰まった感じになりました。約24年前の阪神・淡路大震災直後の避難所はどこも避難者で埋まり、不安感や不快感でいっぱいだったと思いますが、今回の避難所体験での窮屈さは僅かながら実際の避難所に近くなったかもしれません。生徒のみなさんにとって被災後の避難生活の問題について考えるきっかけになっていたらと思います。

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年内の震災学習はこの件で最終になります。来年の1月には阪神・淡路大震災から24年に関するイベントと市内の小中学校への出前震災学習を予定しています。

余談:今年は5月から13校の震災学習の受け入れを行いました。このブログでは学習内容のあり方や記憶の伝承方法などについて余談としてぐだぐだと述べてきましたが、振り返ってみて、今後の震災学習では体験したことが身につくための「合間の時間」をいかに確保するか考えようと思っています。たとえば教育哲学者のジョン・デューイは『経験と教育』(講談社学術文庫)で次のように述べています。「年少者にとってさえも、静かに反省するため、しばし合間の時間が必要である。しかし、この短い合間が、見た目に一段と明らかな活動に費やされた時間の後に続くとき、またこの合間が、頭脳のほかに手や身体の他の部分が使われるさいの活動の期間に獲得されたものを組織立てるために用いられるときにのみ、この合間が本物の反省の期間になるのである。」身体を通じた学びは、その活動の後に振り返ってまとめ上げる反省、つまり心身というか身心の活動が一続きに行われてはじめて、身につくのだと考えられます。このことは、考えるという行為の繰り返しによって脳の神経細胞とそれらを結ぶシナプスの回路が増強され、記憶の保存・強化がなされるという科学的事実に裏付けられるように思われます(福岡伸一著『変わらないために変わり続ける』参照)。それゆえ、震災学習の中で「合間の時間」を確保しなければと、まさに反省する次第です。(やまずみ)

地域の防災訓練と震災学習を2件実施、そして余談

11月4日(日)、二葉ふれあいのまちづくり協議会・二葉地区防災福祉コミュニティとふたば学舎の共催で「二葉ふれまち防災訓練」を開催しました。参加者は地域にお住いの約230名でした。毎年開催される防災訓練ですが、今回はいつもの火災に関する訓練のほか、(二葉公園に設置された)災害時臨時給水栓を使った応急給水訓練も加えられ、みなさん積極的に参加されていました。

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11月5日(月)、福岡県中間市立中間南中学2年生103名を対象に1時間弱の震災学習まち歩き体験を実施しました。9グループに分かれて、ふたば学舎近隣を各ガイドについて歩いてもらいました。短時間でしたが、ガイドから聞いた阪神・淡路大震災時の被災状況と現在の様子とのギャップを感じとってもらえたようでした。

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そして11月9日(金)は、加古川市立両荘中学2年生53名を対象にした震災体験学習を行いました。実施時間は6時間半と長めで、生徒さんたちには阪神・淡路大震災と同じ巨大地震に遭遇し避難者になったという前提で、避難所体験、語り部体験談、炊き出し体験、まち歩き体験、災害現場の知恵学習、とみっちり体験してもらいました。終了時にアンケートをとりましたが、震災に関して多くのことを学びとってもらえたようで、「この学習はとても印象強いことばかりでおどろいたことがたくさんあり良い勉強になりました」や「避難のしかたもおぼえたし、地震があったときにやくだつことを学べました」などの感想をもらいました。ありがとうございます。また、この日は、NHK神戸放送局の取材・撮影も入り、11月20日(火)18:30~19:00放送「ニュースKOBE発」の中の阪神・淡路大震災をテーマにした月1回の6分間ほどの特集コーナー“あの日を胸に”でふたば学舎の震災学習を紹介していただけるようです。(やまずみ)

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NHKの取材で言わなかった余談:アルゼンチン作家ホルヘ・ルイス・ボルヘスの短篇「記憶の人、フネス」(『伝奇集』岩波文庫、所収)は、知覚したすべてを記憶するイレネオ・フネスという若者の話です。フネスは「ひとつのブドウ棚の若芽、房、粒などのすべてを知覚」し、記憶します。ただし、あくまで個物の記憶にとどまり、抽象化されません。「フネスは普遍的なプラトン的観念を持つことはおよそできない男であった」。つまり、フネスにとって犬の記憶は眼の前にいる単独の犬(名前があるならポチとかなんとか)であり、決してその犬を包括する「犬」概念に至らないのです。認知科学者のスティーブン・スローマンとフィリップ・ファーンバックは著書『知ってるつもり:無知の科学』(早川書房)の中で「記憶の人、フネス」を引き合いに出し、すべてを記憶することは、抽象的な枠組みの中で他との共通点や差異に気づいて適切な行動をとるのを妨げるのだと言います。ここから簡単に想像できるのは、ネットで検索できるような膨大な量の詳細情報(=過去の記憶)でしょう。それ自体はなんの役にも立ちません。単なる情報はより高次の抽象的思考の中で比較されてようやく次の行動の役に立ちます。さて、震災学習ではスライド学習の他、被災経験のある語り部さんなどを介して、参加者に阪神・淡路大震災の記憶を伝えます。1995年1月17日午前5時46分に兵庫県南部地震が起き・・・長田区の被災の特徴は広範囲の火災で、東隣の商店街は全焼・・・避難所となった旧二葉小学校には千人を超える避難者が来て・・・等々。しかし、上記のことから考えれば、その記憶は単なる過去の記憶にとどまります。それゆえ参加者には、震災の被災者という前提で避難所スペース作りや(かつての被災地)まち歩きなどを体験してもらい、自らの(仮の)被災体験と伝え聞いた震災の記憶との共通点と差異を感じ取ってもらうようにしています。それは震災学習で参加者一人ひとりが災害時にとるべき動き方=教訓を得るための仕組みでもあるわけですが、震災から24年近く経っていることもあり、薄れていく過去の記憶継承に対して、また、時代によって方法が変化する「学習」という側面から、改善の余地はまだまだあります・・・そもそも、防災/減災の視点の中心となるべき震災犠牲者の記憶と教訓についてはうまく扱えなかったりします・・・。

ついでに、都市における震災に関する備忘録:「現代社会では、技術的知識はどんどん増えているのに、逆説的にも物事は今までよりずっと予測不能になっている。」(ナシーム・ニコラス・タレブ『反脆弱性』)

太田中学2年生トライやるウィーク2日目

今日は、トライやる最終日でした。ふたば学舎でのトライやるは、学校ではできない貴重な体験も沢山させて頂けたので、二日間しかありませんでしたが、とても有意義なものになったと思います。一生に一回しかないトライやるウィーク、価値のあるものにできて良かったです。この経験を、将来で活かしていけるように頑張ります!! 二年 小川 大貴

 

トライやるウィーク二日間がんばれたのでよかった。今日も大変でしたが、がんばれたので学校でも生かしたいです。今日はたくさんの仕事をやりこなせたのでよかったです。 二年 野島 輝龍

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今日は加古川市立両荘中学2年生を対象にした震災体験学習があり、トライやるウィークの2人には炊き出し体験の時にご飯を紙食器に盛る手伝いをしてもらいました。そのほか、電球交換やチラシ配布などの作業もしてもらいました。テキパキと動いて、ふたば学舎の業務にしっかりと携わってくれました。ありがとうございました。そしてお疲れ様でした。(やまずみ)

太田中学2年生トライやるウィーク1日目

今日はふたば学舎でのトライやる初日で、ふたば学舎の校舎の掃除と、整理・整頓をしました。今日は初日なので、まだ緊張感はありますが、言われた仕事を素早く、且つ丁寧にしていけるように、二日間だけですが、頑張っていきたいと思います。明日で最後なので悔いなく終われるようにしたいです。二年 小川 大貴

 
トライやるウィ―ク今日頑張れたのでよかったです。言われた事をてきぱきとがんばりたいです。二年 野島 輝龍

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明日の震災学習で使用するダンボールベッドの組み立ても手伝ってもらい、助かりました。明日もよろしくお願いします。(やまずみ)

ふたばでハロウィン・イベント、そしてアートについて少し

10月31日にふたば学舎初のハロウィン・イベントを講堂で開催しました。秘密の言葉(会場に掲示)を言ってくれたらお菓子をプレゼントするという内容で、コスプレをした子どもたちとその親御さん約400名の参加がありました。開催前から長蛇の列ができ、用意していたお菓子は開始30分ほどで無くなってしまい、イベントはすぐに終了となりました。それでも飾り付けの前で写真撮影をする親子の姿が多く見られ、主催者側としてはありがたかったです。会場真ん中の空いたスペースには、ありあわせの材料でホントに簡単に作ったオバケのオブジェ(?)を置いたのですが、その前でも撮影している人がいて、うれしかったです。ありがとうございました。(やまずみ)

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余談:最近では、イベント会場をデジタル・テクノロジーを使ったインスタレーション作品として展示するなんてことがあったりしますが、今回ハロウィンのイベントを開催してみて、ふと、テクノロジー・アートを手掛けるチームラボやライゾマティクスといった有名どころの会社に依頼すればすごいクオリティになるんだろうなと妄想しました。いったいいくらくらいかかるのでしょうか??

さらに余談:ライゾマティクスなどのテクノロジー・アート創造企業はアートが収益を出すように先端的な活動を行っていますが(宮津大輔著『アート×テクノロジーの時代―社会を変革するクリエイティブ・ビジネス』参照)、アーティスト、というか芸術家と経済の結びつきは(一部の芸術家のことを除いて)イメージしにくいものです(パトロンをイメージするからか?)。たとえば社会学者の北田暁大さんが著書『そろそろ左派は〈経済〉を語ろう』の中で「アートはどうしても『経済』『労働』『搾取』といった問題系から目を背けてしまい、その時々の状況の関数で投下される公的資金助成金に依存してしまう」と述べていますが、アートに限らず、今の時代の「経済」「労働」「搾取」について考えることは必要なんだろうなと思いま・・・脱線しました。

備忘録:防災/減災の学びと避難行動

10月は大学生を対象とした震災学習を1件実施しました。スライド学習と商店主の方の震災体験談を含むまち歩きを通して阪神・淡路大震災について学んでいただきました。それにしても大学で防災や減災を学ぶ学生さん、あるいは被災地でボランティア活動をする学生さんが年々増えていっているという印象です。

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最近、近所の本屋さんに行くと『人はなぜ逃げおくれるのか―災害の心理学』(広瀬弘忠著、2004年)と『人が死なない防災』(片田敏孝著、2012年)が平積みされていて、7月から豪雨、台風、地震が続き、人々の災害に対する意識が高まっているのを狙ってのことだと思います。

14年前(!)に刊行された前者では、警報が発令された際、過度な恐怖や不安に陥らないようにリスクを過小評価する人々の心の機能である「正常性バイアス」が題名の「人はなぜ逃げおくれるのか」に対する答えとして提示されています。正常性バイアスにとらわれている限り人は逃げ遅れてしまうわけですが、では、どうすれば人は災害時に素早く逃げるのか?後者では、三重県尾鷲市で取り組んでいる「逃げるひと」をつくるプロジェクトが紹介されていて、そのプロジェクトでは、住民に東海・東南海・南海連動型地震で発生する津波が尾鷲にやって来るシミュレーション(「尾鷲市動く津波ハザードマップ」)を見せます。そして、津波の遡上に対して避難行動の開始時間が遅いか早いかによって犠牲者数が3,200人から0人に変わることを示します。そうすると住民の意識は「よし、地震が起こったらただちに逃げるぞ」となるのだそうです。

また、東日本大震災の前年に初版が刊行され、今年増補版が出た『津波災害―減災社会を築く』(河田惠昭著、2018年)では、高知県黒潮町における津波に対する住民意識の変化が紹介されています。その変化は町内に津波避難タワーが増えていくことがきっかけとなっており、タワーが増えていくことが「津波が確実に来る」「逃げなければ、命をなくす」という意識を起こしたようです。

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実際の避難行動に結びつく他人事から自分事への意識の変化は、マップやタワーなど何らかの人工物が仲介する学びによって生じているのが興味深く、ふたば学舎の震災学習の参考になります。(やまずみ)